
前回のブログでiPhonを何故日本企業が作成できない答えは、この小説にヒントがあると僕は思います。
つまり、人間が気持ちよく使うことを想定をしていないメカを日本は作っていること。
いくら精度が良い商品を作っても、ユーザー目線で作っていなければ、使う人が満足しない。
根底には、封建的なものがこの国に根強く残っていることが良くわかります。
経済が低迷していること、ネットの媒体が米国のものが大半であること、
自分たちで心地よりものを作ることができないことを今理解すべきということ。
しゃにむに働くことと、極度の安定を望む農村意識がこの国にはまだ残っている。
一般の庶民が手に入れるモノを供給するすべはあるけれど、使って気持ちのよいものは、
「余裕」がないばっかりに作ることができない。
これは致命的。
我が国が100年そこそこで近代化したツケでしょう。
若い世代は気づいていますよ。
いつか変わるべき時がすぐそこに来ている気がします。
教育利権を潰せば変わるかも?